青年海外外協力隊経験を経て、世界中どこでも生きていけるみたいな、妙な自信を得た自分は、根拠のないトンガリボーイになっていた時期がありました。
もともとの生地(浅草吉原)もあり?!、尖がっていて、多少のことなら人生思い通りになると思っていました。
そんな、30歳の頃、本格的に始めたゴルフは、球技は何でもある程度こなしてきたので、大袈裟ではなく、そんな自分のふんわりした自信をことごとく粉砕してくれました。
プロ野球の選手が、時速140kmを超える高速で移動するボールは打てるのに、止まったボールをまともに打てないことで、怒って辞めるか、ゴルフにハマるかと言われていますが、私の場合もまさしくそれでした。
ゴルフはテレビでも観ていたし、当時の流行りのスイング(アップライトにクラブをあげて、腰を飛球線方向に大きくスライドしてのけぞっての逆C型のフィニッシュをとるスイング)も真似していましたが、当たることは当たっても、確率は練習場でも低いものでした。
ただ、練習場で当たらないはまだしも、ゴルフの怖さは、本番中にあります。
OBを打てば進めない(日本のコースは前進4打と言う進行を早めるための特別ルールがある)、池、谷に入れてもあまり進めない、バンカーに入れば出るまで打ち続けなくてはなりません。
近づいたと思ったら、アプローチでトップしてグリーンの反対側に走らなければいけませんし、ざっくりして、ほぼ同じ位置からもう一打などなど。
1回やらかしただけでも頭が真っ白になるのに、原因をよく考えずに、打ち直しますから、連鎖することも度々です。
すべてが自己責任で、自分に向き合うほかはなく、自分の現在の技量に否応なく直面させられるのです。
なんで、そんな余り良いことない、苦しいゴルフなんかやるのと思います。自分はMではないと思いますが、ゴルフの上達には努力と忍耐が求められることは事実です。
平日でも早く起きて仕事に行く前に練習に行ったり、早く仕事が終われば、駅そば食べて練習場に駆け込んだり、時間を絞り出して練習をしていた時期もありました。
それは、機会は少ないですが、ラウンド中、上手く行くときもあり、チップインとか思わぬバーディーが来たり、自然の下でティーショットが糸を引くように飛んでいったりで、基本的にゴルフ場は気持ちのいい自然の中での贅沢な時間と感じていたからです。インドア派である自分の唯一と言ってよいアウトドアでのアクティビティでもあります。
また、ラウンド中でもスコアを作るために無謀な攻め方をやめたり、上手く行かない状況の日でも少しでも耐えることでスコアを作る、忍耐も徐々に身に着けることもできるようになりました。
もちろん、私の30代半ば以降、当時の人生における忍耐は、子供二人を何とか成人させるためには何でもするという忍耐に勝るものはありません。
ただ、その前に、忍耐を教えてくれて、楽しく爽快な人生の相棒を持てたことは幸せなことだったと思います。
また、スコアー、ひいてはハンデキャップと言う数字に、客観的な自分の成果・実力を測れるので、そこを減らそうと、更なるモチベーションになっていました。
今思うと、ハンデキャップ的にも飛距離的にも頂点にあったのは30代後半から40代前半でした。フィリピンのCanlubang Golf and Clubでのクラブハンデ12、Index 10.8が最高の公式ハンデキャップでした。
ゴルファーとしての一つの到達点である、シングル(ハンデが一桁(Single Digit)になること)までは届きませんでしたが、そこはいかにも自分らしいなと思っています。
50歳を過ぎてから、そのハンデキャップの向上はほとんど望めなくなってきましたが、ラウンド中には新たな発見が毎回ありますし、新たなスイング理論がでてきて試したり(昨年1年はそれで棒に振りました)、年齢を重ねてもいろいろなことにチャレンジできます。
更に、「このままでは私は”Golf Widow”(旦那がゴルフばかりで未亡人状態の妻)になってしまう」と妻もゴルフをはじめたことで、当初はラウンド中の小競り合い?!がありましたが、現在では妻や妻のゴルフ友達たちとラウンドすることが幸福を実感できる素敵な時間になっています。
現在では、飛距離に顕著に現れる、肩や股関節の可動域の柔軟性、足腰の粘りなど、フィジカル面の具体的な衰えについても、容赦なく向き合わせてくれるおかげで、それに対し、いかに抗うかについても考えさせてくれます。
このように、ゴルフは私の人生に忍耐と豊かさを与え続けてくれた、妻とは別の意味の人生のパートナーであり続けました。
歩けなくなってゴルフが出来なくなる日は考えたくありませんし、そうなる前に人生を終えた方が幸せかなと思っています。
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