ボランティア歴は国内で区のボランティアディスクに登録し、週末の案件について紹介してもらった時期がありました。
重度障がい者の遠足の付き添いや、保護者会中の障害児の遊び相手など、全くの素人でしたが障がいを持つ方への協力が多かったように思います。
その後二十歳の時に説明会に参加したものの、当時は自身に専門性がなく、応募を断念していた青年海外協力隊でした。
説明会当時には職種としてなかった、コンピュータ関係職種が、「システムエンジニア」として案件を複数見つけた上に、合格の目安として、国内で2年の業務経験とありました。
その時すでに26歳になり、コンピュータ関連の仕事を始めて5年目を迎えていました。
応募に十分な技術と経験を身に着けていたことで応募し合格しました。
以下にその後の国際国連ボランティア歴をまとめます。
期間 | ボランティアスキーム | 派遣国 | 職種 | 配属先 | |
1987年~ | 2年間 | 青年海外協力隊 | フィリピン | システムエンジニア | 第5地域職業訓練校統括事務所 |
1993年 | 1年間 | 国連ボランティア | トンガ | コンピュータ技術 | 労働・通商・工業省 |
1995年~ | 3年間 | 国連ボランティア | ヴェトナム | コンピュータ技術 | 政府組織人事委員会(現内務省) |
2014年 | 6か月 | シニア海外ボランティア | フィリピン | 行政サービス | レイテ州政府 |
国連ボランティアは日本に帰国後も続けてICT業界にいましたが、3年近く経つと、むくむくと再度海外に出たい欲求が沸き上がってきました。そこで、UNVに登録しました。
案件を推薦される目安は、協力隊OBなら協力隊経験を含めた業務経験5年が目安なので、クリアーしていました。
トンがではUNIDO(United Nations Industrial Development Organization:国際連合工業開発機関)のプロジェクトに配属されました。ただ、5年間のプロジェクトの5年目だったことから、1年間の滞在になりました。家財道具を処分して1年間というのは効率性に欠けるので、もう一度応募しました。
次は国を開いて間もなかったヴェトナムへの派遣で、UNDP(United Nations Development Programme:国連開発計画)のプロジェクトでコンピュータ担当でシステム開発や保守をしていました。
こちらでは、当初の任期2年とプロジェクト期間のラスト2年が合致していたのですが、プロジェクトの延長が予定されていて、自身のシステム開発から運用に移行する期間だったので、任期を延長して3年にしました。自身の仕事はありましたが、プロジェクトの再開が遅れたため、結局プロジェクトは任期中再開されませんでした。
ただ、この3年で改めて確信したのは、国連ボランティアとは言え、ボランティアではヴェトナム任期中2人に増えた子供を育てることが、経済的に厳しかったことです。
そこで、ボランティア事業である青年海外協力隊事業を現地で支える”調整員”に応募して、事業を支援する方に回り、当面の生業にしました。
期間 | ボランティアスキーム | 派遣国 | 配属先 | |
1999年~ | 3年間 | ボランティア調整員 | フィリピン | JICAフィリピン事務所 |
2010年~ | 2年半 | 企画調査員(ボランティア事業) | フィリピン | JICAフィリピン事務所 |
2016年~ | 2年間 | 企画調査員(ボランティア事業) | モザンビーク | JICAモザンビーク事務所 |
2018年~ | 2年弱 | 企画調査員(ボランティア事業) | マラウイ | JICAマラウイ事務所 |
最後のボランティアになった、2014年シニア海外ボランティアは短期の6か月でした。
これは2013年11月8日フィリピン中部サマール・レイテ島を襲った台風ハイエン(フィリピン名ヨランダ)が発生し、その対応のためレイテ州政府に籍を置いてできることを実施するものでした。
この台風がフィリピン中部を横断しているとき、私自身もフィリピン中部にいました。
サマール島南部、レイテ島北部と被害の大きかったパナイ島にいたのですが、南部にいたため、家の屋根が飛ぶなどの被害まではありませんでした。風速60mを超える巨大竜巻とも言える強風や6mにも及ぶ高波被害が大きかったレイテ・サマール島とパナイ島北部の被害の大きさがわかったのは電気が復旧した後でした。
このため、モヤモヤした中で日本に帰国し、この話をいただいたので、運命を感じ、流れから参加しました。ただ、行ってみると6か月という期間と、やはり復興への資金の必要性を痛感しました。
若干の資金は得ることはできましたが、クラフトファンディングは、ようやく認知され始めた時期で、企画→応募→資金の執行→精算→報告までのサイクルを達成する見込みが時間的になく、断念しました。
結果大したことはできなかったのですが、この活動についてはいずれ報告したいと思います。
ボランティア事業の支援業務ですが、最後2回はアフリカにおける勤務でした。
50歳を過ぎてのアフリカへの単身赴任は厳しいものがありました。最後は任期を残り5か月を迎えた時点でコロナ感染拡大の中、早期帰国となりました。
61歳になる年に帰国しました。ここまで国際ボランティアは6年半、関連業務は9年強、ボランティアとは関係ありませんが、他の国際協力の仕事に5年半、計20年以上を海外・途上国で過ごしてきたことになります。これで引退です。
最後に宣伝です。
これまでの国際ボランティア経験から、私費出版をしました。印刷部数は少なくしましたので、印刷版は無いようで、電子版のみですがAmazonから『公的国際』で検索すると出てきます。興味がありましたらよろしくお願いします。
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