ジャパンカップの輝きを取り戻したい

Opinion・特集

1981年、私がまだ20代前半だった時、ジャパンカップが始まりました。

かつて、秋の天皇賞は現在のジャパンカップの時期にあり、距離は府中の3200mで、2マイルへのこだわりがありました。

しかし、ジャパンカップの開始により、現在の時期である10月下旬に移りました。そして1984年から距離が3200mから現行の2000mに変更になったのです。

秋の古馬G1戦線は3200m-2400m-2500mから2000m-2400m-2500mになりました。

こうしてジャパンカップは日本競馬で定着していきました。

そこで、近年外国馬の参戦が少ないジャパンカップですが、当初5年と直近5年の外国馬数を確認しておきます。

  • 1981年 外国馬 9頭 日本馬 7頭
  • 1982年 外国馬10頭 日本馬 5頭
  • 1983年 外国馬 9頭 日本馬 7頭
  • 1984年 外国馬10頭 日本馬 4頭
  • 1985年 外国馬 9頭 日本馬 6頭
  •         :
  • 2016年 外国馬 3頭 日本馬 14頭
  • 2017年 外国馬 4頭 日本馬 13頭
  • 2018年 外国馬 2頭 日本馬 12頭
  • 2019年 外国馬 0頭 日本馬 15頭
  • 2020年 外国馬 1頭 日本馬 14頭

昨今の外国馬の参加頭数からは信じられないでしょうが、当初は多くの外国馬が参戦していました。

来日する招待馬の数から日本馬の出走可能数が決まってもいました。

1回目の勝利は、招待馬の中では実績が劣る牝馬メアジードーツで、超ハイペースだったにしても、当時のレコード勝ち、しかも大外一気でした。

更に来日後、検疫中の中間白井分場では、キャンターに毛が生えた程度の調教しかできなかった上に、毛艶ピカピカの日本馬に対し、素人目にも毛艶はくすんでいました。

結果に対し「こりゃ、敵わないや」と思ったのも仕方なかったところでしょう。

その後日本の馬も勝ち負けしていくのですが、昨今のレースはかつての高揚感はなく、年の終わりにグランプリレースが府中と中山で2回あるといった程度の認識に変わっています。

かつてのジャパンカップにおける高揚感を味わいたい。そんな思いからこの記事を書いてみました。

何故多くの外国馬が参戦したのか

それでは近年と違い、当初は何故多くの外国馬が参戦したのか、いくつかの理由が挙げられます。

手厚い招待

当初は外国馬に来てもらう感じで、顎足つきの招待でした。2回目には当時アメリカ最強と思われていた騙馬ジョンヘンリー(83戦39勝)がレジェンドのシューメイカー騎手と共に来たこともあります。

ゴルフでは有名選手をローカルトーナメントに招待するときに、賞金の他にアピアランスフィーがあります。当然、その額はわからないのですが相当な額だったと言われています。

ジャパンカップの場合、当時はどの程度の顎足が、あったが知る由もありませんが、そうでもしなければ極東の競馬場に来てもらえなかった時代でもありました。

その後手厚い顎足はなくなっていったそうです。

1980年代初頭の国際競争のスケジュール

先日日本馬が2レースを制したブリダーズカップですが、開始されたのが、1984年です。それまではアメリカの国際競争と言えばワシントンD.C.インターナショナル(後にバドワイザーインターナショナル)でした。

当時の欧州のチャンピオンディスタンスである芝2400m(12F)で行われる、秋のスケジュールは以下の通りです。

10月1週 凱旋門賞

11月1週 ワシントンD.C.インターナショナル(1986年から10F)

11月4週 ジャパンカップ

凱旋門賞からの参加はそれほど問題なく、ワシントンD.C.インターナショナルからは、東海岸からの輸送になり、厳しいのですが、当時は早々に種牡馬に挙げる馬と、稼がせる馬は稼がせるみたいな時代でした。

また、別路線も含めて結構スケジュール的な課題は少なかったのです。

初年度は欧州からの参戦はありませんでしたが、2年目からは欧州、豪州からの参戦もあり、国際競争として認知されていきました。

一方で、府中の馬場の固さも認知されていきました。

何故外国馬の参戦が激減したのか

それでは、その後どうしてここまで外国馬の参戦が減っていったのでしょうか?

国際競争のスケジュール

先日日本馬が2レースを制したブリダーズカップですが、開始されたのが、1984年です。それまではアメリカの国際競争と言えば先述したワシントンD.C.インターナショナルでした。

ただ、ブリダーズカップは多くのカテゴリーの年間チャンピオンを2日かけて全て決めてしまおうとするような、一大イベントです。

ブリーダーズカップの開始によって、ワシントンD.C.インターナショナルの役割は終え、距離を変えるなどしましたが1994年を最後になくなりました。

また、香港では1994年から香港国際競争が始まり、これにより芝のチャンピオンディスタンスとも言える2400mの国際競争は以下の通りです。

10月1週 凱旋門賞

11月1週 ブリダーズカップ(ターフ)

11月4週 ジャパンカップ

12月2週 香港国際競争(ヴァーズ)

わずか2か月強の間に、4つの高額賞金懸けた2400m(12F)の国際競争が実施されるようになっています。

単独のレースは凱旋門賞とジャパンカップで、ブリダーズカップと香港国際競争は複数のG1が同日もしくは2日に分けて実施される大イベントです。

国際競争に海外から参加する場合、基本的に帯同馬を連れていきますので、その帯同馬にも出走の機会があることが望まれますので、大きなイベントの方が優先順位が高くなります。

最高の例が今年のブリダーズカップで、ラヴズオンリーユーの帯同馬だったマルシュロレーヌも金星を挙げる偉業をやってのけました。

こういったチャンスがなくもないので、帯同馬にも出走の機会があった方が遠征しやすいと言えます。

高速馬場

1989年 2:22.2 ホーリックス(2着オグリキャップ)

2005年 2:22.1 アルカセット

そして、

2018年 2:20.6 アーモンドアイ

もともと、固めで早い時計の出る馬場でした。日本馬が初めて勝った1984年のカツラギエース。現在では仮柵は外へ外へと設置されますが、当時は内にグリーンベルトができあがっていて、仮柵を外していくやり方でした。

そのグリーンベルトを、ノーマークで最短距離を駆け抜けた逃げ切りという、あっけない形の日本馬初勝利でした。日本の2頭の3冠馬が出走して、盛り上がっていただけに何とも言えない空気観がありましたね。

その後の早い時計から、東京の固い馬場のイメージが固定したと思います。

そこに、2003年馬場の改修で、クッションまでついたので、更に高速馬場になりました。

こうなると、欧州の重い血脈を持った一流どころには全く合わない上に、故障のリスクもあるので、ほぼ来なくなります。 

国内問題として調教技術の進化とローテーションの変化

これは、外国馬参戦の減少とは関係のない話ですが、国内でも様々な変化がありました。

かつては、有力馬の天皇賞秋➡ジャパンカップ➡有馬記念の3連戦は珍しいローテではありませんでした。さすがに、3戦ともパフォーマンスを発揮するのは難しく、2勝した馬は結構いましたが、同年3連勝したのはゼンノロブロイのみです。

これによって、天皇賞が叩きのレースになったり、有馬記念がグランプリどころか、ジャパンカップの敗者復活戦のようなレースになったりもしました。

秋の中距離G1が3か月3連戦となったことで、お互いの価値を薄め合っているように思えます。

しかし、昨今、外厩と調教技術の向上から、間をあけてきっちり仕上げて出走させることで、3戦連戦するような馬はほとんどなく、狙ったレースを使うようになってきました。

相変わらず、有馬記念は敗者復活戦的な面もありますが、府中の馬場が軽くなり、暮れの中山は逆にパワーも必要なことから、2400mと2500mの100mの違い以上の大きな差異が産まれ、ジャパンカップと棲み分けができてきたなと言う気はします。

これに伴い、一流馬が分散するようになったことで、毎年のように年度代表馬がぼやけるようになり、やはりグランプリとしての有馬記念の意義が薄れていると思います。

現実的な改善点

ここまで、国際競争でありながら外国馬に来てもらえないし、2、3頭来てもらって本来の趣旨をぼかして、お茶を濁すような状況が続いているなか、もう少し改善された方が良いと思います。

主な問題点は以下の2点です。

①世界的に国際競争が混みあっている時期の中で、単発レースでは他の競争に比べて魅力が薄い

②独自の進化?!を遂げた、特に欧州系に合わない高速馬場を避けられる

①の時期については、オーストラリアでもコックスプレート(2040m)やメルボルンカップ(3200m)もあって、秋シーズンの国内番組構成からも、時期の移動は難しいと思います。

春はクラシックシーズンですし、ドバイミーティングや香港もありますのでなかなか割って入る時期が無いです。

できることは、日本でもジャパンカップとジャパンカップ・ダートとして、土・日に行われた時期がありましたが、G1である必要はないので、同週の国際競争を増やしてあげることで、帯同馬共々レースに参加できる環境作るといいと思います。

②については馬場造園技術をもってすれば、ある程度簡単にできると思います。

一つは散水です。第1回では、外国馬陣営から馬場の固さを指摘され、散水したそうです。これはやや柔らかい状態を常に保つ確かな方法です。

もう一つは、洋芝のオーバーシード率を増やすことです。札幌・函館のように洋芝をメインにすることは気候上難しいですが、比率を増やしていくことはできると思います。

高速馬場で独自の進化を遂げるのも良いのですが、世界的にはガラパゴス馬場とも言えますので、国際競争であるからこそ、他国の馬が安心して参加できるような馬場・環境を提供すべきであると思うのです。

余談ですが、昨今のダービー馬はオルフェーブル以降、到底凱旋門賞では勝負になりそうもない馬ばかりなので、日本ダービー馬の権威・質をも落としているように思えます。それが馬場からきていることは明らかです。

また、それが今年のジャパンカップへのダービー馬4頭参戦に繋がっていると思います。これほど自国のダービー馬を酷使する競馬先進国はないのではと思います。

実施競馬場を変更する手もあります。現状、世界標準に近い競馬場は阪神でしょう。ただ、右回りが嫌がれるかもしれませんけどね。

最後に、高速馬場は、昭和の日本競馬の、時計に対するコンプレックスからきていると思います。時計だけでも世界に追い付こうとした結果です。

だからと言って馬場で時計を出すと言うのは本末転倒でもあります。

調教技術の向上とサンデーサイレンスやキングカメハメハのおかげで、馬の質は世界レベルになってきました。もう、国内の馬場も世界標準に近づける時期ではないかと思うのです。

顎足に頼るのではなく、高額賞金を含め、どの国の馬でも安心して参戦できる馬場・レースを提供して、多くの強い海外馬が日本馬に臨んでもらう、そんなジャパンカップの未来がきたらいいなと思います。

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